アラサーホストになる【エピソード13 立川ホストクラブの歴史、繁栄と衰退】

 

立川ホストクラブの歴史、繁栄と衰退

 

この章では立川ホストクラブの歴史について説明しようと思う。

 

何度も言っているが、立川のホストクラブは完全に下火だった。

 

今から20年程前、立川は歌舞伎町に次いで夜の繁華街が盛り上がっていて、ホストクラブも30店舗以上あったと言われている。

 

月に1000万円以上売る人気ホストも何人か存在し100万、200万売るホストはゴロゴロ存在した。

しかし、時代の流れと共に衰退していき、僕が働いている当時は3店舗しか残っていなかった。

その中で最も古い、立川老舗のホストクラブが僕が働いていた店だ。

 

生き残ったとしてどこの店も昔のように羽振りのいい客はそうそう来ない。

どこの店もギリギリの経営でどうにか生きながらえていたにすぎない。

今の立川で200万売り上げたら、余裕でナンバー1になれる。

 

当時、ホスト界の帝王ローランドが大流行した事を皮切りに、ホスト系youtuberのホスチル、作家兼ホストの信長など、多くの有名ホストが誕生しホスト業界が盛り上がったような気がしたがそれはあくまでも歌舞伎町の話しにすぎない。

 

立川には全くもってその波は来なかったし、そもそも立川にホストがある事自体知らない人がほとんどだった。

 

初回で入れば1000円で割りもの飲み放題という、破格の値段にも関わらず初回の客なんて3日に1組来るか来ないかのレベルなんだから、そりゃ経営陣も頭を悩ませ従業員に圧をかけるわけだ。

 

実際に昔来ていた客が久しぶりにきて、「全然面白くなくなった」と不機嫌になる事もあったし、「昔はよかった」とか「昔は面白かった」とか、そんな風にぼやく客も多かった。

 

客だけでなく、古参の従業員もそんな事をたまに漏らした。

 

そうは言っても、過去の栄光を語られても仕方ない。

客が来ないのであれば、自分で見つけていくしかないのだ。

 

 

人気ホストになるにはSNSを上手く活用すべし

 

当時うちの店でSNSに力を入れている人はほとんどいなく、立川全体でみても SNSを上手く使っている人は一人もいなかった。

ぶっちゃけこの時代で大きな成果を出すにはそこしかない、歌舞伎のホストではSNSを上手く活用して人気ホストになる人もたくさんいたし、歌舞伎町ホストのSNS界隈そのものが盛り上がっていた。

 

ホストだけではなく、ホストに貢ぐホス狂い界隈でも人気アカウントが多数存在し、SNSでのマウントの取り合いが顕著だった。

 

考えて見ればホストとSNSの相性はいいし、僕がナンバー1になるにはその戦場で勝つしかないような気がした。

昼間普通に働いている僕からすれば、客にラインを返す時間も、客と会う時間もライバルに比べて少ない。

しかし、SNSであればそこまで時間のロスも無い。

SNSで人気を出して「会いたい」と言ってくれる客を増やすのが一番楽だし、ストレスも無いはずだ。

 

何よりこのご時世で勝ち上がるには、どこの世界でもSNSを上手く活用した人だと思う。

 

 

 

 

 ーーーエピソード14へ続くーーー

 

 

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